ある日感じた「死」、そして通院の決意
2014年01月23日 (木) | 編集 |
これは決して大げさな表現ではなく、ある日「死」を感じたの。
大学生活が始まる前に実家暮らしをしていた時、コタツの中で暖を取りながら横になっていた時は感じなかった「死」。

コタツに横になる時は、ガリガリすぎて骨が直接畳にあたるのが痛かった。
横になっている間中、腰骨やお尻の骨が畳にあたっているのを感じていた。
頻繁に寝返りを打たないと痛くなるけど、寝返りを打つのも痛いし大変。
寝れるわけでもなく、ただ横になってジッとしているかテレビを観るか勉強をしていた時、呼吸するのは疲れることなんだと感じていた。
そんな時でも、感じたことはなかった「死」。

熟睡することができず、連続して眠れる時間は3~4時間がいいところ。
疲れているから、心の底から疲れているから、ぐっすりと眠りたいのに、それができないことにストレスを感じて、余計に疲れを感じる日々。
「私はね、お母さん、もう疲れたの。本当に疲れているから、このまま眠って、ずっと目が覚めなくてもいいやって思う時があるの」
そうお母さんに言ったこともあった。
「もう、イギリス留学が終わったら、人生でやり残したことは何もないと思う。明日にでも目が覚めなくなってもいいやって思うけど、せっかく手に入れたイギリス留学は少しでも体験してからがいいかなぁ」
心も体も疲れ切っていて、本気でそう思った。
でも、その時ですら、「死」は具体性のない、どこか漠然としたものだった。

それがある朝、一人暮らしの部屋で目が覚めた時、「死」を急に、体感できるほど間近に意識したの。
新学期の忙しい日々の中、今思えば奇跡のようになんとか大学生活を送っていた、ある朝。
相変わらず数時間しか寝れず、夜中に一度目覚めてはテレビを観たり本を読んだりして、それから二度寝をして起きた、朝。
目覚めてトイレに行きたくなるのが日課で、この日もトイレの為にベッドから起き上がった私。
そしてベッドから足を出してトイレへと一歩を踏み出したとき、体が妙に軽い。
今まで感じたことが無いほど、足に体重を感じない。
いつもと同じ力で一歩を踏み出したものだから、勢い余ってスキップのような歩き方でトイレまで行ってしまった私。
その一歩から次の一歩まで、体は宙を浮いていたわけだけど、この時「死」を感じたの。
体が予想に反してフワッと浮いた、あの感覚。
今までと何かが違う。
今までもガリガリで大変だったことは沢山あったけど、「ガリガリ」を自分の重みとして「体感」したのは、初めてだった。

いくらガリガリとはいえ、重みはある訳で、歩くときだってそれなりに力を入れて踏んばらないといけないでしょ?
それが、これまで通り踏んばると、勢い余ってしまう。
トイレに行くまで、このフワフワした感覚にゾッとしながら歩いて、用を足すとすぐに体重計に乗った。
一人暮らしの部屋にあるのは、気まぐれで買った目盛りを針で指すタイプの、古いもの。
指し示した数字は、32キロ。
今までで一番、軽い。
直観的に、この数字を下回ったら本当にヤバイ、本当に死ぬ、と思った。
その時、体重計からまだ下りていない時、頭の中に響いたのは、お母さんが何度も念押しした「病院に絶対行ってね」という言葉。
お母さんに「私はいつ目が覚めなくなってもいい」と言いながら、いざ「死」を具体的にイメージしてしまうと、やっぱり生きたくなったんだと思う。
その時は「せっかく手に入れたイギリス留学への切符、すごく努力したんだから、イギリス留学が終わるまでは死ねない」なんて自分に言い聞かせたけど、心の底にあったのは「死にたくない」という思いだったんじゃないかな。

こんな状態で生きるのは、本当に辛い。
でも、今はまだ死にたくない。
でも辛い。
どうにかして抜け出したい。

その日のうちだったか、その次の日だったかは定かじゃないけど、ネットで近くて相談できそうな病院を検索して、その病院へ来院したいと相談の電話を入れた。
そこは大きめの病院で、初診の事前予約は受け付けていなかったと思う。
そこの心療内科っぽいところへ来院する決心をした。

今の状況が、病院に行くからって変わる訳じゃないと思った。
自分が変わらない限り、苦しみから解き放たれることはないと思った。
でも、このままじゃ変わることは出来そうにない。
永遠に苦しみ続けて、いつか死んでしまうんだろう。
そんな考えが辛すぎて、藁にもすがるように来院を決めた。


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